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zoom RSS 安寧の日記(8/15)真実

<<   作成日時 : 2006/08/15 23:02   >>

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真実は一つなのか
何処にでも転がっているのかい
一体そんなものが あるんだろうか
何も解らないで僕はいる

河島英五「てんびんばかり」より


「真実」=うそでない、本当の。〔仏教〕絶対の真理。
辞書的には、そいった意味らしい。

ボクは同じ「しんじつ」でも「信実」(=正直、まじめ。)の
信実をこう考えている

「自分が真実であると信じているところの信実」


だから、人の数だけ「信実」はあるし
人として生きる過程で
「信実」を「真実」へと近づけていけばいいと

だって、「真実」は一つかどうかも
不変であるかも感知できないから

たぶん、不変よりも普遍するものかも?

空気時計のブログでは
何度も書いてしまったみたい・・・



ボクにとって
安寧は静寂の中にはない
むしろ雑踏の中にある

予期せぬ波風に揺らぎながら
それでも保ち続けるもの
それがボクにとっての安寧

保ち続けているもの
ボクはそれを真実とは呼ばない

ボクはそれを信実と呼ぶ
自分がそう信じるものだから
真実と信実とを近づけていくこと

身も心も現実に揺らぎながら
それでも揺らがぬものとして
ボクの安寧の日々はある





There are no labyrinths
you cannot get out of.

EIGO が
また ボクに問う
真実は ひとつなのか?

ボクは苦し紛れに
「真実」と「信実」を使って
説明する

EIGO が
また ボクに問う
何処まで行けば
見えてくるんだろう?

ボクは苦し紛れに
真実と共にあるものは
佇むものであると呟く
EIGO が叫ぶ

何かいいことないかな
何かいいことないかな



事実が信実を駆逐する時
真実と信実の違いを知る


永遠という名の有限を
真実という名の信実を
永遠の真実に変える為に
ボクにできたこと

この春のひとときを
刹那に細分すれば
それは 永遠にも等しく
刹那的信実も真実に等しい

永劫は 人の手になく
刹那は 人の手にあっても
その指間から零れていく
サラサラと零れていく

砂の落下を取り留めない
砂時計のくびれを
誰も責めることはできない
誰も時を止めることはできない

感じるという錯覚を真に受けて
表記してしまった罪を
罰なく過ごす日々が人生だと
原罪に罰なく 罰こそ原罪だと


事実だけが残る その理由は兎も角も
事実だけが残る? 事実さえも歪曲される
事実も残らない 真実は残らない

どう死んだかじゃなくて
人は どう生きたかだと言うけれど

もう真実がわからないことを
どう生きたかの真実を 知る由もなく
それをどう信じているかの信実が
せめてもの救いなのだろうか?


それが 勝ち負けの問題ならば
ボクは 負けの方がいい

それが 唯一の真実ならば
ボクは 在来の信実の方がいい


信実の愛・・・
それより発するものは それ自体を表現しない
それより発するものは その周辺を表現する
その周辺を表現することで それ自体を浮き彫りにする

真実のそれより発するものは
それ自体を実践する
真実のそれより発するものは
その周辺を それ自体で満たす


どう 詩で表現しようと 自由だ
どう 詩で否定しようと 自由だ
それを 表現してみる価値はある

否定しようとして 否定しきれぬ
そのあとに 訪れる肯定

そこに 表現すべき 信実はある


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