安寧の日記(12/23) 紅砂の時


気付いてしまった 空気時計の正体が
単に砂を抜いてしまった 砂時計であることに

それで 20年間 時を刻めなかったわけだ
それで 20年間 詩も刻めなかったわけだ

君から 少し砂をもらって 時を刻んでみたよ
君から 少し砂をもらって 詩を刻んでみたよ

君には 迷惑かけたくなかったから
ここで 小石を積むように 
ここで 止まらぬ鼻水のように
ダラダラと ダラダラと

いろんな人を 君と呼びながら

君からもらった ひとにぎりの砂が
音もたてずに落下しながら
同量の空気が 君とすれ違う

ボクは空気のように 自然に振舞いたかった
でも 自然であろうとすることが 不自然だった

いいんだ もう無様でも
いいんだ もう滑稽でも

12月の夜風が 古傷にしみる
慢性的眼精疲労のボクには
オリオン座しか認識できない

月だって 幾重にも分裂して
正確な形すらわからない

年が明けても ボクはまだ
砂時計の砂を抜けずにいるだろうか?


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この記事へのコメント

リグレット
2004年12月25日 06:55
おはようございます。
『自然であろうとすることが 不自然だった』
私も 意識してしまって 自然ではなくなってしまうことが ありますが
自然に生きるということは 大切なことだと思います。自然に生きるとい
うことは 水の流れのように 高いトコロから低いトコロに 自然に流れ
て 謙虚に生きるということのように思えます。私には できないけれど
とても憧れます。目標にしたい生き方です。  
空気時計
2004年12月25日 23:59
リグレットさま 水が低きにのみ流れるものならば、巷に雨が降ることはありません。自然は謙虚なだけではありません。そのことを表わす「災」の一年だったと思います。台風、地震・・・。天空にのぼる水蒸気なくして、雨は降らない。水は低きにのみ流れているのではない。人生だって、そうだと思っています。

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