「安寧の日記(9/10)対極」について

安寧の日記(9/10)対極」について

対極するものの狭間に
表現があると・・・

対極するものは
大きな隔たりのあるもの
なのに 狭間なのか?

正反対のものなのに
正反対のものだから
表裏一体

それがあるから
それもあるから
一蓮托生

同時に存在し
同時に存続する

「存在」とは
その字の通り
存えて在るもの
ながらえてあるもの

それは過去形と現在形
表現した刹那に全て過去形となるもの

存在と存続は違う
存在だけを求めても
存在とはならないもの





自然にうまれたものを
自然に伝えればいいのに

作為でこしられたものを
作為をもって伝えてはいけない

それは すでに
メッセージではない

自己の本質なんて
意識に過ぎないよ

プロデュースするのは
プロダクトであって
地下工場ではないからね

心のあり方は
プロデュースできても
心そのものは
プロデュースできないからね

根幹も やはり
意識に過ぎないよ

否定とは
肯定への帰納法であると
なぜ思えないのだろう

まるで
東京タワーの真下で
周りを見渡して
東京タワーを探している
そんな気がして
ならないのです

青い鳥は彼方ではなく
青い鳥は内なるもの

ループでなくスパイラル
そんな気がして
ならないのです





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「対極」について―3
Excerpt: 「「安寧の日記(9/10)対極」について」について 何かと何かの狭間に 表現があると・・・
Weblog: 空気時計
Tracked: 2008-09-13 15:48