山頭火の日記(1/17)


昭和6年(1931年)「三八九日記」より
一月十七日 晴、あたゝかだつたが、私の身心は何となく寒かつた。

帰途、薬湯に入つてコダハリを洗ひ流す、そして一杯ひつかけて、ぐつすり寝た、もとより夢は悪夢にきまつてゐる、いはゞ現実の悪夢だ。
今日は一句も出来なかつた、心持が逼迫してゐては句の出来ないのが本当だ、退一歩して、回光返照の境地に入らなければ、私の句は生れない。


昭和7年(1932年)「行乞記(二)」より
一月十七日 また雨、行程二里 深江、久保屋(二五・上)

世間師は晩飯を極楽飯、朝飯を地獄飯といふ、私も朝飯を食べた以上、安閑としてゐることは出来ない、合羽を着て笠を傾けて雨の中へ飛び出す、加布里、片山といふやうな部落を行乞して宿に着いたのは三時過ぎだつた、深江といふ浦町はさびしいけれど気に入つたところである、傾いた家並も、しんみりとしてゐる松原もよかつた、酒一合、燗をしてくれて九銭、大根漬の一片も添へてくれた。
此宿は新らしくて掃除も行き届いてゐる、気持よく滞在出来るのだが、憾むらくはゲルトがない(殊に同宿の煩はしさがないのがうれしい)。
私たちは『一日不作一日不食』でなくて『食べたら働かなければならない』である、今日の雨中行乞などは、まさにそれだ(働かなければ食へないのはホントウだ、働らいても食へないのはウソだ)。
よく降る雨だ、世間師泣かせの雨だ、しかし、雨の音はわるくない、ぢつと雨を聴いてゐると、しぜんに落ちついてくる、自他の長短が解りすぎるほど解る。
此宿はほんたうによい、部屋もよく夜具もよく賄もよい、これだけの待遇をして二十五銭とは、ほんたうによすぎる。
途中、浜窪といふ遊覧地を通つた、海と山とが程よく調和して、別荘や料理屋を建てさせてゐる、規模が小さいだけ、ちんまりと纒まつてゐる。
一坊寺といふ姓があつた、加布里(カムリ)といふ地名と共に珍らしいものである。
また不眠症にかゝつた、一時が鳴つても寝つかれない、しようことなしに、まとまらないで忘れかけてゐた句をまとめる。――

・道が分れて梅が咲いてゐる
・沿うて下る枯葦の濁り江となり
   古風一句
 たゞにしぐれて柑子おちたるまゝならん(追想)





山頭火の句は刹那のスナップショットの思える
もし彼がデジカメを持っていたら
どんな画像を残したのだろうか?


-----------------------------------------------------------------------------
底本:「山頭火全集 第四巻」春陽堂書店  他
   1986(昭和61)年8月5日第1刷発行
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2009年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
-----------------------------------------------------------------------------





この記事へのコメント


この記事へのトラックバック