山頭火のお正月


1931年 80年前の1月1日



【昭和6年―1931年】

一月一日 雨、可なり寒い。

いつもより早く起きて、お雑煮、数の子で一本、めでたい気分になつて、
Sのところへ行き、年始状を受取る、
一年一度の年始状といふものは無用ぢやない、断然有用だと思ふ。
年始郵便といふものをあまり好かない私は、元日に年始状を書く、今日も五十枚ばかり書いた、
単に賀正と書いたのでは気がすまないので、いろ/\の事を書く、ずゐぶん労(マヽ)れた。

 元旦の捨犬が鳴きやめない
 売れ残つた葉ぼたん畑のお降り
・水仙いちりんのお正月です
・ひとり煮てひとり食べるお雑煮



【昭和7年―1932年】

一月一日
 時雨、宿はおなじく豆田の後藤といふ家で。

・水音の、新年が来た
何としづかな、あまりにしづかな元旦だつたらう、
それでも一杯ひつかけてお雑煮も食べた。
申の歳、熊本の事を思ひだす、木の葉猿。
宿の子供にお年玉を少しばかりやつた、そして鯉を一尾家の人々におごつた。
嚢中自無銭、五厘銅貨があるばかり。
酒壺洞文庫から借りてきた京洛小品を読む、
井師の一面がよく出てゐる、井師に親しく面したやうな気持がした。
飲んで寝て食べて、読んで考へて、
そして何にもならない新年だつたが、それでよろしい。
私が欣求してやまないのは、悠々として迫らない心である、
渾然として自他を絶した境である、その根源は信念であり、
その表現が句である、歩いて、歩いて、そこまで歩かなければならないのである。


【昭和8年―1933年】

一月一日

私には私らしい、其中庵には其中庵らしいお正月が来た。
門松や輪飾はめんどうくさいので、裏の山からネコシダを五六本折つてきて壺にした、これで十分だ、歯朶を活けて、二年生きのびた新年を迎へたのは妙だつた。
お屠蘇は緑平老が、数の子は元寛坊が、そして餅は樹明君が送つてくれた。
いはゆるお正月気分で、敬治君といつしよに飲みあるいた、そして踊りつゞけた、それはシヤレでもなければヂヨウダンでもない、シンケンきはまるシンケイおどりであつた!
踊れ、踊れ、踊れる間は踊れ!
芝川さんが上海からくれた手紙はまことにうれしいものであつた。
・お地蔵さまもお正月のお花
・お正月のからすかあかあ
   樹明君和して曰く
  かあかあからすがふたつ
・シダ活けて五十二の春を迎へた


__________________________________________________________________________________________________________________
底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店
   1986(昭和61)年5月25日第1刷発行
   1989(平成元)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:さくらんぼ
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年3月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
___________________________________________________________________________________________________________________


山頭火(たねだ・さんとうか)〔1882~1940〕日本を代表する自由律の俳人のひとり

1923年(大正12年)関東大震災にあい、元妻の居る熊本へ逃げ帰るも、生活苦で自殺未遂。
1924年(大正14年)得度し「耕畝」と改名
1925年(大正15年)西日本を中心に旅をしながら句をつくる生活
1932年(昭和7年)郷里の山口市の小郡に「其中庵」を結庵

山頭火が私に与えた影響は大きいのです。
私は14歳から詩を書き始め25歳頃に筆を折ったのですが
その原因のひとつが山頭火の句との出会いです。

最初に山頭火の句をいくつか読んだ瞬間に身震いしたのを覚えています。
簡潔な句で広大なものを表現している、そのバックボーンを感じたからです。
実際に彼にまつわる本やドラマで、彼の激しい生き様を知りました。
それは、私には到底まねできないことでした。
そこまでしなければ、これ程の作品は残せない・・・
当時 社会人となっていた私は常識的な生き方をするしかなく
詩を書く生活と社会人としての生活が両立できなかったのです。
結局 「パンドラの箱」に作品を封印し筆を折ったのです。

そのことについては、このブログの名前でもある
詩集「空気時計を見詰めながら」に一節があります


詩集「空気時計を見詰めながら」―5

【エピローグ】


この砂時計が 時を刻み終えるとき

最後の一粒が 落ち終えるとき

この密閉されたガラスの内なる空間から
開放されるとき

僕の本当の沈黙が 開始されるとき

僕が愛した人々の 
僕を愛した人々の

悲しみや喜びや
それらの満ち欠けよ

何も言えずに そうするよりは
何も言わずに そうすることだ

サヨウナラ さようなら 左様なら
そうであるから

壮絶な人生としなかった
ガラスの内なる壮絶さを
わかってほしい






今年は山頭火の日記を引用しながら
ブログを展開できればと思います。





この記事へのコメント


この記事へのトラックバック

安寧の日記(1/10)山頭火
Excerpt: 今年は山頭火についてブログの記事にしようと思い 倉庫から資料一式を探し出してきました
Weblog: 空気時計を見詰めながら
Tracked: 2011-01-10 17:15