安寧の日記(4/29)認識と虚像



『サカサマのパテマ』を鑑賞。

正常と異常。
鏡に映る姿みたいに
主観と客観の虚像を感じました。


鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)
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「鏡の中の鏡」 または 直角に配置された2枚の鏡の正面
真の姿が左右逆転することなく映し出された状態でも
鏡に映った時点で虚像なのかも知れません。

ましてや、人の中で認識されるものは
虚像でしかないのでしょうか?

「リンゴは赤い」
リンゴが赤いのは
赤以外の光を吸収し
赤だけを反射しているから
いわば リンゴが拒絶した色。

「白い雲」「黒い闇」
完璧な白はすべての光を反射し
完璧な黒はすべての光を吸収し
いずれも不可視。

空気時計の中では
そんな思いが浮かんでは消え
消えてと見せて
意識から無意識へと沈殿し
また 浮かび上がって。

物質と反物質に思いは至り。
万有引力で物質間には引力があるけれど
物質と半物質間には引力が存在するのか?
素朴な疑問が生まれたり。

物質と反物質では電化が逆だから
引力でなく「押力」ではないのか?

ビックバーンで生じた
物質と反物質は相互に退け合い
対消滅することもなく
二分化されたのではないか?

対消滅があるのなら
対生成もあるはずだ。

空気時計の中では
またまた思いが巡る。

「空気時計」そのものが
空気が見えて砂が見えなければ
「砂時計」は「空気時計」であるという
思いの象徴ではあるが。

空気時計の中とは
閉鎖されたガラス空間みたいな
ガラスであるから外から内部が見えるような
無意識でありながら
意識によって意識される部分。
心理学では「前意識」と呼ぶのかな。

有形・無形に思いを馳せながら
「真実」は見えないにしても
それが「真実」であると信じている「信実」を
幾重にも重ねながら過ごすそんな日々です。



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