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最近は詩を書くことも少なく
人様の詩のブログにコメントばかりしています。

蛍光は熱を持たぬ光。過ぎ去った恋の残り火。
「覆水盆にかえる」…ただし器による。
そんな先輩の一言を思い出しました。


神社によっては裏参りがあるそうです。
その方法は様々です。
そのお願いする内容も様々でしょうね。
宮本武蔵が吉岡一門との対決に向かう途中、
神社があってもお参りしなかったという逸話もあります。
何かに頼ってしまう弱い心では大行は成就できないということでしょうね。


「君」と「僕」の平行線。どこまで行っても平行線。
平行線だからこそ、交わることができる・・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/jinojin/63206284.html
空気時計が出した、ひとつの答えです。



負のスパイラル、次第に半径を縮めながら、
加速度的に「玉」はころがる。
ありえぬ逆行を夢見ながら、定め通りに魂(たま)は、
終着点へと至る。そんな感じでしょうか。



「暮らす」から「暮れる」一日。
一日一日を積み重ねる、
それは刹那・刹那の積み重ね。
刹那を留めるために、
今後とも詩作に精進くださいね。
11月になりました霜月(詩も尽き)にならないようにね。



人は常に泣き続けています。
ほんのり泣いているから眼球が乾かない。
人の感情の根底は「泣き」なのですね。
生まれてきたときも泣いたでしょう。
「泣く」」からといって、それは悲しみとは限らない。



「僕」の位置は移動しなのか移動するのか?
心の距離なのか?
なぜ「遠ざける」でなく「遠ざかる」なのか?
色彩がおりなす不思議。物体の色とは、
その物体が吸収せずに、
その物体が反射した色となる、
もしかして物体は自己が拒否した色に染まるのでしょうか?



人は生まれただけでは人間になれない。
人間としてもう一度生まれることが必要なのだと思います。
原点を何処に置くか?
原点はひとつでなくてもいいですね。
たくさんの原点を持つことで素敵な人生となるから。



"咳をしても一人"(尾崎放哉)。
文字を刻めば刻むほどに、
他者の存在とは関わりなく、
表現で限定したつもりが、朽ち果てていく。
発した刹那に過去となるばかりの表現。
それでも文字を刻もうとするのはなぜ?



詩を拝見して
思ったままに
感じたままに
コメントしているのですが
基本的スタンスが右斜め45°なので
その方が意図したものを
故意にはずしていると思われそうですね。

右斜め45°だからこそ
その作品の厚みが見ることが
できると思っていますけどね。

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