安寧の日記(7/10)雅と邪



聖書を真剣に読んだことはありませんが
ちょっと心にひっかかる部分があって
引用してみます。


わが行ふことは我しらず、我が欲する所は之をなさず、
反つて我が憎むところは之を爲すなり。

わが欲せぬ所を爲すときは律法の善なるを認む。

然れば之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。

我はわが中、すなわち我が肉のうちに善の宿らぬを知る、
善を欲すること我にあれど、之を行ふ事なければなり。

わが欲する所の善は之をなさず、
反つて欲せぬ所の惡は之をなすなり。

我もし欲せぬ所の事をなさば、
之を行ふは我にあらず、我が中に宿る罪なり。

然れば善をなさんと欲する我に惡ありとの法を、
われ見出せり。



「行ふ」→「表現する」
「善」→「雅」(みやび)
「悪」→「邪」(よこしま)


多少、文字を置き換えると


わが表現することは我しらず、我が欲する所は之をなさず、
反つて我が憎むところは之を爲すなり。

わが欲せぬ所を爲すときは律法の雅なるを認む。

然れば之を表現するは我にあらず、我が中に宿る邪なり。

我はわが中、すなわち我が肉のうちに雅の宿らぬを知る、
雅を欲すること我にあれど、之を表現する事なければなり。

わが欲する所の雅は之をなさず、

反つて欲せぬ所の邪は之をなすなり。

我もし欲せぬ所の事をなさば、
之を表現するは我にあらず、我が中に宿る邪なり。

然れば雅をなさんと欲する我に邪ありとの法を、
われ見出せり。



以前 つくったお経「阿呆陀羅経」の冒頭
http://blogs.yahoo.co.jp/jinojin/51927204.html

「安以有得悪」(あいうえお)

いづくんぞ(安んぞ)
有るを以って悪を得ん。

どうして存在していること自体が
悪であろうか? そんなことはない。


・・・「安」を「吾」(われ)にすべきだったかな?


われ 生きるを以って 悪を得ん。


われ 詩を書くを以って 悪を得ん











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